こんにちは。
【縁】を彩り【ぱすてる】でつなぐ”縁ぱす”です。
本日は、若干涼しくもなってきましたので、
神社巡りをしてきました。
風が強くて、日中歩いても体力を奪われることもなく。
そして、神社にてパワーを頂いてるのか疲れを感じませんでした。
やはり神社巡りは良いですね。
今回、紹介するのは鳩森八幡神社です。
時間帯によっては人が全然いないので、他の方の雑念を感じることも無くとても気持ちが良い場所です。
鳩森八幡神社について
八幡神社(鳩森八幡神社)は、御祭神に応神天皇・神功皇后をお祀りし、千駄ヶ谷一帯の総鎮守として村民の崇敬を受けた神社です。 境内には都の有形民俗文化財指定の築山富士があり、樹木は区の保存林に指定されています。 初宮詣(お宮参り)・七五三・合格祈願・成人式・結婚式・安産祈願等、各種ご祈祷承っています。
鳩森八幡神社の御祭神さまは…
・応神天皇(おうじんてんのう)
・神功皇后(じんぐうこうごう)
それぞれの神様ですが…
・応神天皇(おうじんてんのう)
第15代に数えられる大和朝廷の天皇。名はホンダワケノミコト,またはオオトモワケノミコト。仲哀天皇の第4皇子。母は神功皇后。先帝が没したとき,なお母后の胎中にあったため胎中天皇ともいう。天皇およびこの時代に関する記紀の伝承は豊富で,池溝開発,内政整備の記事のほかに王仁の来朝,『論語』『千字文』の奉献をはじめ,弓月君,阿知使主らの渡来人や,漢籍,儒学(→儒教),工芸の輸入などに関するものが多く,この時代における大和国家の勃興と,大陸や半島の先進文化の流入とを示す。『宋書』夷蛮伝の倭王讃を,応神天皇とする説もある(→倭の五王)。陵墓は高度の造営技術を取り入れた壮大な規模の前方後円墳で,大阪府羽曳野市の恵我藻伏崗陵(えがのもふしのおかのみささぎ。→応神天皇陵)とされている。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について
・神功皇后(じんぐうこうごう)
古代,仲哀天皇の皇后とされる人。名はオキナガタラシヒメノミコト。父は開化天皇の曾孫,母は新羅から但馬に来住したというアメノヒボコ(天之日矛)の玄孫タカヌカヒメ。いわゆる三韓征伐物語の中心人物。「記紀」によると仲哀天皇が熊襲を討つため九州に赴き筑紫の橿日宮(→香椎宮)で急死すると,同行の皇后は妊娠中にもかかわらず,武内宿禰とはかり新羅に遠征,新羅降伏後筑紫に帰ってホンダワケノミコト(応神天皇)を産んだという。この遠征の結果,百済と高句麗も日本に帰服した。皇后は大和に戻ってほかの王らを討ち,応神天皇を皇太子に立てて,約 70年間皇太子の摂政としてみずから政治をとったといわれる。また『日本書紀』は皇后を暗に『魏志倭人伝』にみえる女王卑弥呼に擬している。陵墓は奈良県奈良市の狭城盾列池上陵(さきのたたなみのいけのへのみささぎ)。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について
それぞれコトバンクさまより引用させていただきました。ありがとうございます。
富士塚から鳩森八幡神社を撮影してみました♪
富士塚について
寛政元年(1789)の築造と言われ、円墳形に土を盛り上げ、富士山の溶岩は頂上近くのみ配されています。頂上に至る登山道は自然岩を用いた階段となっており、山腹にはクマザサも植えられています。山裾の御影石の里宮(浅間社)をはじめ、7合目には身祿様が安置されている洞窟、烏帽子岩、釈迦の割れ石、山頂にボク石で覆われている奥宮等富士山を再現しています。また富士塚の前にある池にみたてた場所には毎年開山式(6月3日)の頃菖蒲が咲き、訪れる人の目を楽しませています。
そして、棋力向上をお祈りする「将棋堂」もあって見るだけでも楽しい神社です。
ぜひ、一度足を運んでみてはいかがでしょうか?
今回もお読みいただきましてありがとうございました。
アナタに素敵なご縁がありますように。
縁ぱす 雄介